酒井順子のエッセイで「生きていることに倦んではいないのに」(「目が覚めているのが奇跡」)というフレーズを目にした時、私は、
「生きていることに倦んでもいないし、死を望んでもいないが、死を受け入れることに、多分躊躇しないだろう」
と続けたくなった。
酒井さんは全然違う文脈で使っていた。
なぜ私は、こんなふうに続けたくなったのだろう。
「生きていることに倦んではいない」という酒井さんの言葉に、自分の気持ちを投影したのだと思う。自分もそうだと思った。
でも、本当にそうなのだろうか。
死を受け入れることに多分躊躇しない、と自然に続けてしまった。
ひょっとすると私は、生きていることに少し倦んでいるのかもしれない。
「倦んでいる」のに「倦んでいない」と思っている、あるいは気づいていない。
なんだか、感情(倦む)と運命(死)のエアポケットに入ったような気持ちになった。
このエアポケットからは、抜け出したほうが良いかも。
「生きているうちが花なんだぜ〜」
竜童さんの、
浩市、憲武の声が聞こえてきた。
生きているうちが花なんだぜ〜🎵
