事故や事件、災害などで被害に遭った人たちの悲しみ、痛み、苦しみは、察するに余りある。
被害者がその心情を吐露することも、当然のことだと思う。
ただ、報道される被害者のインタビューを見ていて、ときどき違和感を覚えることがある。
悲しみや怒りがあまりにも強く、繰り返し訴えられると、被害者であることを必要以上に強調しているように感じられることがあるのだ。誇張ではないかと。
もちろん、それが大袈裟なのかどうかはわからない。本人の悲しみや苦しみは本人にしかわからない。同情を引こうなどしていないだろう。
また、被害者だからといって、誰もが同じように悲しみ、怒り、苦しむわけでもないだろう。
静かに受け止める人もいれば、誰かを責めようとは思わない人もいるはずだ。
しかし、そういう人たちはあまり報じられない。
被害者の心情を否定するつもりはないが、その人の発言や振る舞いがすべて正しいとは限らないことも留意すべきだと思う。
被害者の愁嘆はそれだけでマスコミの素材になりやすい。被害者の苦しみは、表現は不適切だが、絵になる。被害者の愁嘆が私には、時に大袈裟に感じられてしまうのだ。マスコミが執拗に報じているからかもしれない。
ただ、被害者の嘆きを繰り返し報じるばかりでいいのだろうか、と疑問に感じてしまうことがある。
それが適切な感想なのかどうかも、わからない。
ただ、愁嘆場を見て、そう感じることがある。
