「すべて人は,衣食住,医療および社会施設などにより,健康と福祉に十分な生活水準を保持する権利を有し,災害,事故,失業,疾病,心身障害,配偶者の死亡,老齢その他の不可抗力による生活不能の場合は,保障を受ける権利を有する.」(世界人権宣言第25条,1.)まず,生命,そして生活水準.兵士だから仕方がない,幼気(いたいけ)な子どもは悲惨ということもなく,性,民族で区別もされない.ルールの前提として,基本的人権を有することが出発点にあり,人権を護るために「ガバメント」とスタッフは必要である.

一方で,これで完璧という人権を護る方法や手段がないことも事実.そもそも,「十分な生活水準とは?」から議論を始めなければならない.各論,各ケースについて議論,熟考のうえ改善に努める必要がある.基本的人権が相対的に護られている国家がいわゆる先進国と呼ばれ,先進国は経済的に豊か,少なくとも表面的にはそう認識されている.基本的人権を護るために経済力が必要なことも明らかそうだ.

ところで,能力に差がある.この差をどう保ち,どう平準化するか.個人ばかりでなく国家にも言えるが,個人に能力差があるのは明白だが,国家になぜこれほど差がついているのか?この点もよく考える必要がある.援助だけすれば良いのではない.

そして,基本的人権を護るどころか怠り,損ない,侵す政府やスタッフがいるのも確かだろう.この点で,少なくとも10万年後にヒトという種が存在していない可能性は小さくなく,滅亡はもっと早いかもしれず,その可能性は大きいのではないかと懸念する.これが,護る以前の最大の問題点であることをなぜヒトはわからないのか,と思うと同時に,ヒトとはそういう種であり,ヒトに限らず,種はみんなハズレ値を包含するするものと考えるのが正しそうだし,楽だ.Laid-Back!

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