写真:さいたま市(2024-10-16T05:28)
霜降の候 朝晩冷えたり、日中暑かったり、これはこれでなかなか身体に堪えますね、お元気ですか? 湯沢や那須や白馬は、美しく紅葉していることでしょうが、肝心な時にタイミングが悪くどこにも行けてません。(^o^)
去年使った世界一周航空券、つい欲張ってあそこもここもと組み込んだため、旅行そのものに悪影響を与えてしまいましたが、少し冷静になって考えると、使い様によってはやはり悪くはないな、と思います。東京、ローマ、ニューヨーク、そして,東京。要するにヨーロッパとアメリカを周る旅行であれば悪いチケットではない。ただあくまでも一周航空券が目的ではなく手段として使用した場合で、無理にアメリカやヨーロッパの都市を入れるのであれば、東京とヨーロッパや東京とアメリカを往復したほうがいいと思います。試しに上記の3都市コースの見積額を出してみたら去年より4割超高かった。こういうところのインフレは顕著でも、生活必需品ではないのでしょうがないですね。
60代後半になると新たな出会い、新たな別れは面倒くさくなります。新たなスタートはそのハードルがより高くなります。出会いは、どうしてもパートナーが必要という場合はハードルが低くなりますが、私などはここまで来たら、理想に近い相手を選ぼうとハードルは高くなります。別れの場合はよほどのことがないと別れないでしょうから、やはり高くなる。どちらも、境遇を変えるのは「ここまで来たら」というのがあり難しくなる。「ここまで来たら」は、執着心や欲望が抑えられるケースでは、心の平静を保つのに役立ちそうです。
地震の発生図を改めて見たら、真っ青。日本は地震が起きるのが当たり前、被害が小さかったらラッキー、ということが歴然でした。地図はブログに掲載しましたが、災害が起きてから、「人生初めて・・」,「今までに経験したことのない・・」とか言って驚くのではなく、未経験の大地震は我が身に起こりうると考え、起きた時の対処を考えておいた方が良いです。台風や大雨などの気象災害もある。災害は起きるものとして、起きた後の準備・用意をしておいたほうがいいのでしょう。なお、備えるにしても限度がある。「ここまで来たら」とある程度割り切って備えるのもありですね。
映画・音楽・文芸評論家の佐々木敦氏は「『村上春樹『1Q84』論」で、『ポケットの中のレワニワ』(伊井直行)との比較をしていて、発行部数の歴然たる違いに疑問を呈していました。伊井作品の方がずっと感動したとさえ。私も、発行部数の差ほどの感動の違いは感じなかった。なぜ、『1Q84』はミリオンセラーで『ポケットの中のレワニワ』はミリオンセラーではないのかわからなかった。もちろん知名度、ファン数が違うというのは要因としてありますが、それなら、なぜ知名度やファン数が違うのか、さらにはっきり言えば、なぜ村上さんの本は売れるのか?わからない。もちろん評論家と言われる人たちはそれなりの細かい分析をしています。でも、結局誰にもわからない。売れるものは売れ、売れないものは売れない。村上さんは自分で、「一生懸命」、「全力」で,「努力」して、「オールアウト」に「小説を書いている」、と書いています。「好きなように」書いているとも。他の作家、例えばお墨付きをもらった芥川賞作家は全力で書いていないのか?といったらやはり全力で書いているでしょう。むしろ、「好きなように」書けていない可能性がある。
村上さんの小説には読者を惹きつける何かがある,としかいえない部分があります。村上さんに限らず、傑出した芸術家は分析しきれない人の琴線に触れる何かをもっている、としかえいないことがあり、それが、ある芸術家とある芸術家に雲泥の差をつけたりする。そこで、ある作家は村上さんだったかもしれず、村上さんはある作家の一人であったかもしれない可能性を感じてしまいます。ひいては、芸術家に限らず、成功者は、極論ですが、あなただったかもしれない、とも思ってしまうのです。