チューリッヒ湖(2023/10/08)
寒露の候、台風と秋雨と曇りの日が続いています。急に秋になった感じがします、お元気ですか?去年の今頃はチューリッヒにいて、エジンバラに向かおうとしていました。ほんの1年前ですが、はるか昔のことのように感じます。1年=はるか昔、なので、この1年の私の時計は早く進んだということになり、私の時計を基準とすると、物理的時間はゆっくり進んだということになります。相対性です。
人生100年と長さが強調される一方、1万年、2万年でさえピンとこず、地球の歴史は億年単位で現在は3500万年前に始まった氷河期中であることなど実感できません。(氷河期はさらに約10万年ごとに繰り返す寒い氷期と暖かい間氷期に分けられ、現在は間氷期末期、いつ氷期になってもおかしくない)相対性を言葉でわかっていても、実感するのは難しいものです。
悩みというと大げさですが、どうしようか?と決めかねる、迷うことはよくあると思います。日常的に今日何食べようかとか,何着ようかから、映画は何を見ようか、本は何を読もうか、旅行はどこに行こうか、数年に一度ですが、スマホは,パソコンは、スマートウォッチは今度何にしようかなど。この人と結婚するか、また、家や車など金額の桁が7桁8桁9桁になるものまで、重大さも頻度も様々ありますが、今私にとって最優先事項は、老後の計画をどうするか、終活をいつからどうやるか、です。私はシンプルでスッキリしているほうですが、それでも、スマホやインターネットなどICT関連の契約は明らかに一昔前より複雑になっています。活動しているうちに全てを解約するわけにもいきませんが、死後の事務処理を減らしておくべきでしょう。そんなことを考えたのは,「自分が失われるべき場所に至る」(村上春樹「1Q84」)という文言を目にしたからです。自分が失われるべき場所はどこだろう、それがわかった時ではもう遅いな、と思ったからです。
もうひとつ同書で残った文言があります。
「生まれてこの方、僕は無条件で人を愛したことがないんだ。この相手になら自分を投げ出してもいいという気持ちになったことがない。ただの一度も」
メモをしておかなかったため、読了後、この文言を探すのにとても苦労しました。ネットで検索しても「本当の愛は車軸に取りつけられたまま動かない」ばかり出てきて求める文言は出てこなかった。結局、書籍(文庫本6冊)に戻って探しました。他の人にはこの文言は響かなかったということですね。
本当の愛を経験したことのある人は、充実した人生を送ったといえるかもしれないなと思います。
子どもに戦争は悪いか、すべきではないか訊いたら、よほどの臍曲がりでない限り、「悪い」、「すべきではない」と答えるでしょう。それが、大人になり政治的指導者になると「悪くない」,「すべきである」となるのはどうしてでしょう。大人になるとバカになるのでしょうか。また,当事者でない世界の組織も、政治家やリーダーも止められない。彼らは無能、無力なのでしょうか。さらに一般の人も話題を避け、同情することしかできない。
能登地方の人々は巨大地震に続き、水害でさぞ心が折れたことと思います。心よりお見舞い申し上げます。サイコロを振って6が2回続けて出るのはあまりありませんが、それでもあります。3回続けてになるとちょっと珍しいかもしれません。でも、前に2回続けて出たことをサイコロは知りませんし、気にしません。知っていたり、気にするのは関与する人たちだけです。やはり、6が出る確率は6分の1と考えるべきです。巨大地震が大雨の被害を拡大させたのはほぼ間違いないことを加味して考慮すると、酷ではありますが、巨大地震後の次の災害は起こりえ、その被害は拡大すると考えておくべきだったし、これからも考えるべきでしょう。
現世は疑問やわからないことがたくさんあります。摩訶不思議で理不尽なことも多い。私たちは、数十億年の地球の歴史の中で、自分や自分の周りの人々を中心に一年や十年や一生を悲しんだり、喜んだり、オロオロしたり、得意になったりしながら、運命や運にも左右され、生きそして死んでいきます。周囲や社会に迷惑にならない範囲で好き勝手に生き死んでいくのがいいのではないかと今思います。