食べるために生きる?

 生きるために食べるのはわかる。「生きる」のが目的で「食べる」のが手段,と置き換えられるだろうから。また、「生きる」ことが「食べる」に優先するから。さて、食べるために生きる、とは?「食べる」のが目的にはなるが、「生きる」のが手段になるだろうか?「食べる」のが「生きる」より優先されるくらい食いしん坊、食べることが大好き、グルメというメタファーならわかる。けど、生きていなければ食べることはできないのではないか?食べるために生きることはそもそもできないのではないか?

 ソクラテスやイギリスの諺の,「食べるために生きるな、生きるために食べよ」や「人はパンのみにて生くるにあらず」(旧約聖書)の意味は,「食べる」や「パン」は、物質や欲望が「生きる」目標であってはならないというメタファーなのだろうけれど、やはり、食べることが先にあり、それが一定の水準に達していることが前提だと思う。その上で,生きる目的は食べることだけではない、ということになるだろう。旧約聖書のほうがより的確に思える。
 国家の第一義は、国民が食べられるようにすること、第二義が、食べること以外にも重要なことがあるから、食べることだけを生きる目的にしないよう導く。
 めでたし、めでたし。

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