長崎平和記念式典

 無事に終わって良かった。長崎市長のイスラエル大使不招待が波紋を呼んだが、そもそも問題になるようなことではなかった。地方行政と国際政治の守備範囲の違いを踏まえるべきだった。長崎市長がイスラエル大使を招待しなかったのは,地方自治体首長としての判断で非難されるものではない。一方不招待はイスラエルをロシアと同列とみなすものとの認識は過剰反応、言いがかりとさえ言える。アメリカ・イギリス・フランスなどのG7の大使が不参加を表明したのは国の指示で個人の意見や思想とは関係なく,国の代表としての行動と考えるべきだろう。国際政治と地方行政の守備範囲の違いを混同したことによる波紋だったと思う。

 今回の平和記念式典招待措置として可能だったのは、1.無難:イスラエルを招待する(広島市),2.小波乱:イスラエルを招待しない(長崎市),そして、3.大波乱:ロシアもイスラエルも招待する、という3つの選択肢があった。平和記念式典の意義としては、3,2,1の順で、3が最もあったが、できなかった。これが、現在の国際情勢であり、3ができないことが問題なのである。広島市がイスラエルを招待していたことは、問題を小さく止めることに貢献した。長崎市はだからイスラエル不招待ができたといえるし、1と2の選択肢を両方示す多様性、さらに最も望まれる3の存在を暗示し、その実現の目標を生んだ。
 

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