写真:大磯
立秋の候,「立秋」と聞いただけで心が安まる、わけはなく、連日猛暑が続きグロッキー状態です、お元気ですか?温暖化が進み、二十四節気との季節のギャップは広がるばかりですが、早朝には立秋の気配をほのかに感じます。
さて、前節は予定通りどこにも行きませんでした。暑すぎてシャワーを浴びる気にもなれず、(汚いわ!)、早朝の散歩と必要最小限の外出にとどめました。そして村上春樹の『街とその不確かな壁』を読んでいました。三島由紀夫の『豊饒の海』、伊集院静の『愚者よ、お前がいなくなって淋しくてたまらない』のような位置付けの作品、と私は勝手に思っています。
村上さんの武器は隠喩力、描写力、想像力、幻想力,そして物語る力。それらが遺憾なく発揮されていると思います。これぞ,村上ワールド,集大成と言っても過言ではないのではないでしょうか。これが,最後の大作になる可能性さえあると思います。
ところで、最近夜眠れなくて、焦れば焦るほどさらに目が冴え、ついに起き出した,という夢を見ました。(^o^)実は,夢だったのか、リアルだったのか、わかりません。そんな夢だか現実だかわからないような体験をすることがたびたびあります。(^o^)
いまさらの疑問:
敵と味方を隔てるものは何か?たとえば、なぜロシアとアメリカは対立するのか?なぜ、ロシアと中国、イランは仲間なのか?
亡くなった人より、残っている人のほうが大切なのに、亡くなった人の作品の価値のほうがはるかに大きいのはなぜか?
秘密はなぜ存在するのか?なぜ隠さなければならないものが存在するのか?
ゴキブリは気持ち悪く、カブトムシやクワガタはかわいい、少なくともおぞましくないのはなぜか?
うには食べられて、芋虫は食べられないのはなぜか?または、地域によって違うのはなぜか?
敵と味方、秘密、好きと嫌い、こういうものは意識や感覚が生んでいる。これらの分け隔てが無くなれば良いのだが、この二分が先に存在する(ア・プリオリ)のではないか?もし,そうなら、争いや軋轢があるのが当然・必然で、平和や安全を願うのではなく、危険からどう逃れるかを考えるべきなのではないか?「死」を無くそうとしないで、皆「死」から離れようと努めるように。