先日「好きなこと」が「生きる」上での重要ポイントと書いたが、現存在の最重要テーマは「生きる」、である。「どう生きるか」に「好きなこと」をする、がある。そして,「好きなこと」の「こと」を「人」に換えれば「好きな人」となり、「好きな人」と一緒になれれば良いが、「好きなこと」を必ずしも仕事にできないのと同じように、実際には「好きな人」と思うようにはいかず、いろいろあの手この手,奥の手と万策を講じて、妥協し自分を騙すことまでしてでも「生きて」いく。
 「好きなこと」や「好きな人」をやりくりし,自分なりにバランスを取りつつ「生きる」のが人生だ。

 さて、「好きな人」がどういう人かは各自に任せるとして、「好きな人」とどうしたいのか。これも各自の問題であり、世代によっても違うだろう。では,晩年の「好きな人」とはどうしたいのだろうか?夫でも、妻でも、パートナーでもいいが、介護や看取りは一旦置いておこう。「好きな人」が夫や妻でなかった場合,話がややこしくなるから。

 日常生活が普通に送れる晩年における、「好きな人」とはどういう人か?

 インスパイアされる人など公倍数はいろいろあるだろうが、最小公倍数は一緒にいたい人だろう。一緒にいてもいい人にまで広げられるかもしれない。「好きな人」と晩年いっしょにいられることは重要なポイントと言えそうだ。

 現存在の最後は「死」で終わるが、その「死」は寿命であり,運命であり、多分自分ではどうしようもない部分があり、早かったり、遅かったり、ちょうど良かったり、穏やかだったり、不運だったり、非業だったり、悲惨だったり、突然だったりする。その前に一緒にいる人が「好きな人」かどうか、大問題だな。

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