立春の候,2024年ようやく1ヶ月が過ぎました.お元気ですか? 新たな月を迎え,少しホッとしています.気分を変えられるような気がするからですが,1月が重過ぎました.今までこれほど2月になりうれしかったことはなかったかもしれません.

 1月30,31日と藤沢,茅ヶ崎のアドレスハウスに滞在しました.なかなか外出する気持ちになれず,ようやく重い腰を上げたのが最後の2日でした.1ヶ月に2泊する権利があり6ヶ月まで有効ですが,世界旅行中とその前で5ヶ月分貯めてしまい,毎月2泊しないと無効になる状態です.無効にするのももったいないので今は毎月2泊がノルマになってます.(^o^)
 藤沢も茅ヶ崎も初めてではなく,特に藤沢は鎌倉に来た時にも来ているので馴染みがありましたが,宿泊は初めてでやっぱり日帰りと宿泊では違います.三浦,横須賀,逗子,葉山,鎌倉との違いを少しですが感じました.藤沢は江の島があり隣の鎌倉と似ている部分はありますが,内陸部に住宅地が広がる点が違います.また,茅ヶ崎は逗子•葉山と似ていますが,砂浜,サーフィンに特化していて,居住地の感も強い,住民の年齢層も少し若い(多分).共通しているのは逗子から茅ヶ崎まではあまり空室がなさそう,空いたらすぐ埋まってしまいそう.三浦,横須賀にはまだ空きがありそうですが,それもかなり僅少かもしれません.

 今まで20km歩くと必ず夜両足数回,それもかなり激しく攣っていました.あまりに辛いので,今回は,毎日の歩行距離である約13km/日から20kmの間に収めて,攣る攣らないの分岐点を見つけようと目論見ましたが,20km以内に収められず,結果として初日20km,2日目27km,3日目20km歩いてしまいました.ところが,夜,足は攣りませんでした.27km歩いた日もです.その理由を考えましたが,足を攣った時は山歩きが含まれていたのに,今回はほぼ平坦だったことぐらいしか思いつきません.もうひとつは,攣るようになってからふくらはぎと腿の筋力強化を図ったことも遠因としてあるのかなとも思いますが,たまたま攣らなかったのかもしれません.今度は山歩きをどれくらいすると足を攣るのか,攣らないのかを確かめようと思います.(^o^)また2月に2泊しますので.

 今節の動画はツェルマットを編集しました.マッターホルン登山の拠点,1年中スキーが楽しめる.グリンデルバルト,サンモリッツより少しこじんまりしている印象がありました.マッターホルンはただでさえ美しいのに,天候や見る角度などによりいろいろな姿を見せてくれます.マッターホルンを登山するには,ロッククライミングなどの技術が必要で,山歩き派の私はマッターホルン登山はできませんが,ゴルナグラート,ロートホルン,グレイシャー・パラダイス,ズンネッガなどでマッターホルンや氷河の景観を楽しみました.

 能登半島地震は,人口減少,高齢化の進む地域に起きた自然災害で,被災対象地域の人口は16万人ほど,比較になりませんが,阪神・淡路大震災の被災対象が一説に4,500万人,死者がおよそ6,400人でした.能登半島地震の人口に対する死者の割合を当てはめると,64,000人の死者が出たことになります.つまり人口あたりの死者率は10倍能登半島の方がひどかった,ということです.また,復旧サポートのマンパワーも決定的に足りず,助けたい災害ボランティアも,助けが必要な被災者もいるのにボランティアの受付がままならず,お願いできない歯がゆい状態が続きました.大都市圏は大都市圏の,小都市圏は小都市圏の問題点があり,さらには,その地なりの独自の問題点が重なります.能登半島地震は地震の強さや被害の大きさ以上に被災者に,国民に暗い影を投げかけています.

 ハイデッガー哲学の起結点は「死」ですが,極端ですが, 健康な人は誰も明日,明後日亡くなるとは考えて生きていません.自分の家族や友人,知人が突然亡くなることも全く想定していない.でも,天災は起き,事故も事件も起こり,ヒトは全て死ぬ,これらのことは知っていながら,ヒトは毎日真実から目を背(そむ)けて生きている,真実を見ないようにして生きている,言い換えれば,ヒトは真実の中で生きていない.哲学は宗教の一種だと思いました.つまるところ,苦痛や苦悩の源泉となる真実はなんなのか探究する学問ということが可能で,その目的のひとつは苦痛や不安,恐怖からの自己の解放または逃避だといえます.つまり,宗教と同じです.もっとも,哲学はキリスト教,仏教,イスラム教,などと比べるべくもありません.それはAI対ヒトのように,関わっているデータ量,時間,人数,頭脳が宗教と哲学では比べものにならないからです.プラトンやアリストテレスやデカルト,カント,ヘーゲル,ニーチェ,フッサール,ハイデッカー,サルトル,レヴィ=ストロース,デリダ,マルクス・ガブリエルなど哲学者たちがどんなに賢くても偉人でも,束になってかかっても,今までに宗教に関わったすべての聖職者たちの総合パワーには及ぶべくもありません.

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