最後まで 語り続けた彼

それにしても,さびしい,ただ,ただ,さびしくて,言葉が見つからない.

小池真理子が夫・藤田宜永を喪くし,朝日新聞に寄稿したエッセイ(2020年)の末文.
「37年前に出会い,恋におち,・・・」で始まり,
「『逃病』と称して,一切の仕事に背を向けた」(無理して仕事していたのか…)
「文学も哲学も思想も,もはや無意味なものになった」(そうでない人もいる…)
「いつ死んでもいいんだ,昔からそう思ってきた,死ぬのは怖くない,でも,生命体としての自分は,まだ生きたがっている,もう生きられないところまで来てしまったのに不思議だ,と言うのを聞くたびに胸が詰まり,嗚咽がこみあげた」とつづけた.
脚色はあるにしろ,ここまで配偶者を愛することができるんだな.語り続けたことも関係あるかもしれない.

話は変わるが, もし,私が海外で亡くなることがあったらそれは突然の事故や発病,つまり稀に発生する確率に適合するポワソン分布に当てはまる.(変わり過ぎや!)そのようなあまり起こらないことが起きた時は,現地当局に全て事務処理を任せて,現地のしかるべき埋葬地に葬ってもらえばいい,そういう運命なのだから来るには及ばない,in my opinion.^_^=

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