名優は喜怒哀楽,苦しみ,悪徳,冷酷,残酷などあらゆる演技ができる人だろうが,善き女性は善き女性にしか演じられないように思える.意地悪な女性に善き女性は演じられないのではないか?演技力で近づけるかもしれないが,善き人柄だけは演技ではできないと思うのだが.
さて,女優がテーマではない.(^o^) 基本的にジェンダー差別主義者ではないが,女性が幸福になるために大切なこととして,「善き人」であることを挙げたい.本性的に「善き人」であれば問題がないが,万一意地が悪い,性格が悪い本性であったら,演技してでも善き人になるほうが幸福に近づける.幸福とはここでは「日日是好日」,多くを望まず何事もなければ幸福という控えめな意味.対比として男性を考えるとわかりやすい.男性は,もちろん善い人であることに越したことはないが,それだけでは十分ではない.加えて,経済力,生活力,マネーを得る力が求められるのを否定できない,どころか明らかに求められる.
女性が教育を受け,労働力となることを全く否定しない.稼ぎたい人,稼げる人はどんどん稼げば良い.しかし,現実問題として,男性社会であることが日本や他のOECD,先進国においてさえ否定できない.実際・現実と建前は異なる.建前は男女平等でも,労働力とくにマネーを得る点では平等とは言い難く,加えて人や社会の心情・思想・風潮・思潮にも由来し,厳然として収入面で男性優位が現実である.ならば,男性に稼いでもらうのがプラグマティック.経済力は幸福の十分条件ではないが,前提条件ではある.経済力を他に求めるならば「善き人」であったほうが断然良い.「善き人」は幸福の十分条件になりうる.(AならばBのA)
女性は「善き人であれ」,演技であろうと,徹底して,それが身を助くと思う.(名優でも演技できないんじゃないんかい!)
「瓢箪から駒」や「嘘から出た実」とは違うが,演じていれば本当にそうなるかもしれない.そもそも,性善・性悪ってだれがどう判じるのか.当人であり,当事者が己の物差しで,だろう.
それを言っちゃあおしまいだけど.
写真:左から八千草薫,野添ひとみ,吉永小百合,尾崎奈々ⓒ文藝春秋