言語を過大に評価すべきではない,とウィラード・ヴァン・オーマン・クワインはいっている.ジャック・デリダもそのようにとれることをいっている.アルフレッド・エイヤーは形而上学は論ずる価値なし,とさえいっている.自由,平等,民主主義,権利,愛,平和,幸福,これらの抽象的概念を全て相手に伝えきることはできない.完全に相手に理解させることができない.後から後から修飾する言葉が出てきて,キリがない.どんなに言葉を尽くしても説明しきれない.ヴィトゲンシュタインは「語り得ぬものは沈黙しなければならぬ」,といった.しかし,日常生活おいておおよそ伝われば問題とはならない.
相手にもよる.バイアスがあるから.意見が異なるから.また,そもそも理解力に問題がある場合もある.例えば,子ども.だから,相手に伝わっていると過大に認識すべきではなく,100%は伝えられないものだと考え,さらに,誤解や曲解することさえも考慮する必要がある.ミスコミュニケーションをできるだけ少なくし,大体伝わればよし,としたほうがストレスが小さくて済む.「腹八分」,七分も伝われば御の字.(説明が悪いんじゃねェ!)
どう美味しいか,何が美味しいか,表現方法が無数にある,ともいえる.愛についてどれだけの創造がされてきたか.どれだけの悲劇が生まれてきたか.完全や完璧は望めないという考え方は一理あるとともに,可能性は無限ともいえる.(生ホイップクリームどら焼かよ!)