言語がヒトという種に備わっている脳や心の下位器官(チョムスキー)だとして,日常における言語の機能はいろいろある.日常(SNS含む)およびビジネスコミュニケーション,正式文書・契約書,概念・思想などを表す,議論や会議,演説,演技,マスコミなどもある.母国語と外国語,音声と意味などの側面もある.それぞれに個人差や能力差もある.さらに,社交性や性格・性向などの要因も加わる.障がいもある.ヒト生来備わっている特性であってもとても「たかが言語」ではなく,「されど言語」.

個人的になぜ外国語のある音(抑揚,アクセント,リエゾン,その他全ての音含む)が聴き取れないのかとても興味がある.言語グループの違い,文字通り距離的にも離れているが,日本語と西洋語特にGlobishの英語の聴き取りの困難さは完全に日本人のハンディとなっている.生まれた時には聴き取れていたはずの音が成人すると聴き取れなくなる.聴き取れなければ聾唖者を考えればわかるが,発音も正確にできない.聴こえる音しか発音できない.聴こえない音は発音できない.耳の機能は成長するにつれて聴き取れる音域が狭くなり,中学校ぐらいが分岐点,身体の成長が止まる高校生だとだいぶ固まり,20歳過ぎ,成人するとかなりもう耳は閉じて,聴こえない音に開いてくれないのではないか.そして,30歳を超えると聴こえない音は諦めるしかない.(w)(笑うところじゃない)絶対音感と共通点がありそうだが,英語音声の点で,小学校から英語の音を聴くクラスはあっていいと思う.文法や表現などの勉強ではなく,英語音を聴きとる耳を失わないためのクラスだからクイズやゲーム形式のほうがいいかもしれない.成績も必要ないかもしれず、少なくとも合否は不要だろう.選択でよく,必修の必要はないだろう.一生英語を話さない人のほうが多いのだから.

言語の音とともに,ボキャブラリー,エクスプレッションも母国語と外国語では隔たりが大きい.慣用句やことわざ,一般教養にまで広げると絶望的な差がある.こちらはかなり早く中学生を過ぎたらこの差をあきらめるしかないのではないか?一般的に30歳過ぎて何年外国で暮らしても外国語は外国語だ.習慣的に生活に不自由はしないかもしれないが,母国語にはならない.これが,中学生ぐらいだとかなり母国語に近づくのではないか.小学生ならほぼバイリンガルになれそうだ.ただし,音声の点だけでインテリジェンスはまた言語とは別,子どもは子どもの会話をし、インテリジェントでなければインテリジェントな言語を話せない.低脳,低心ならば言語もまた然り.言語にインテリジェンスは現れる.外国語を聴くのは早いうちから,好奇心,創造力,思考力は “always”.音声に限らない母国語と外国語の致命的な隔たりに,チョムスキーが「言語は個人に内在している生物学的特性である」とした卓見に改めて感服せざるをえない.その特性は一部の例外の人を除き,基本的に「ヒト」が満足に繰れる言語は最初に学んだ第一言語(母国語)だけで,後天的に学習する第二言語(外国語)がはるかに第一言語に及ばない説明にもなるからである.

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