和孔密州五絶東欄梨花(蘇軾)

元母校(大原中学校),子ども家庭総合センターの桜

大澤渓草(書道一元會展出品作品)

梨の花はのんのり白く,柳は深い緑色

柳のわたが飛び交うころ,町はすっかり花でうまる

庭の東の欄干のそばに,雪のように白く咲いていた一本の梨の木があったことを思い浮かべ,私は物思いにふける

はかない人の一生に,いったい何度このようなすばらしい清明の日を迎えることができるだろうか.

蘇軾は42歳のとき,帝の交代による派閥抗争に巻き込まれ,最後の20年余左遷や島流し,閑職の冷や飯を食わされることになり,64歳で3人目の帝に許され都に戻る途中客死した.この詩を詠んだのが権力抗争に巻き込まれる2年前,干されることを予見していたかのようだ.その後20回以上清明は迎えたが,すばらしい清明はこの歌を詠んだ時を含め,ほんとうに数えるほどだったのかもしれない.なお,中国では春の花といえば梨,桜と読み替えればさらに蘇軾の心情に近づけるかもしれない.

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