民主主義と資本主義

一見正しいようで,ベスト・イデオロギーのようだが,必ずしも正しいわけではない.少なくとも唯一の,ベストのイデオロギーではない.他国に押し付けるべきイデオロギーでもない.

不可能性の定理

ケネス・アロー(Kenneth J. Arrow)による定理.次の4公理を満たす社会厚生(社会政策の優先度)関数は存在しない.

  1. 合理的であること
  2. 全会一致・満場一致
  3. 第一第二選択肢は第三選択肢の影響を受けない
  4. 独裁者の不存在

1から3までの公理を満たすことは可能だが,それには,独裁者の存在が不可欠となる.つまり,完璧な独裁者の存在なしには100点の厚生制度はない.完璧な独裁者が存在するとすればそれは,たとえば神だが,神が存在すれば満点の厚生社会が実現する.もし,今いる独裁者が完璧な独裁者であれば.その国の厚生制度は満点となる.
そもそも3公理を満たすことさえ難しいうえに,完璧な独裁者を望むのは不可能だろう.しかし,理想的な厚生社会を理論的には考察できること,その厚生社会は理論的に実現しないことを知ることは有益だろう.なぜなら,諸条件のもとで最善と思われる方法を選択しなければならないことを知るからである.また,独裁者からのアプローチもあることを知るからである.

エートス

「エートス」とは,個人の本来的あり方,生得的な性格.人間が行為の反復によって獲得する持続的な性格・習性.基底となる精神,特質.ア・プリオリとア・ポステリオリの両方の意味が交錯する.さらに,ある社会集団・民族を支配する倫理的な心的態度(慣習,習俗,道徳).芸術的作品に内在する道徳的,理性的特質,気品,品位.パトスおよび知性の対義語.いろいろな顔を持ちすぎてわからない.感情とも知性とも対立する.
ラテン語やギリシャ語の語句を,アリストテレス,デカルト,カント,ヘーゲル,マルクス,ウェーバーなども自分の論理に合うように,定義を付け加えている.ならば,自分で定義するしかない.
「エートス」とは,生得的なものに経験を交えて考えられた,その時点で正しいと思われる倫理,行動様式,理性,品格.とりあえず,「最高規範」としておこう.

エチカ

「エチカ」は,スピノザ(1632-1667)のコンセプト「神即自然」であるとともに著作.ヒトの最高の善,ヒトの救済および真の幸福は神の認識と神への愛においてのみ成立するということを,ユークリッド幾何学の形式にしたがって演繹的に論証し,厳密な合理主義精神と深い宗教的心情とをひとつにさせている.
いっさいの事物は神の様態,必然性に従って働き,決定される.人間精神は諸情念に隷従せざるをえないが,しかし同時に明晰判明な認識によって諸情念に打ち勝つ能力をももつ.ヒトは理性によって欲望を克服するとき自由である.万物を「永遠の相のもとに」,つまり神との必然的な関係においてみるとき,「神に対する知的愛」としての喜悦が生ずる.これは神が自己自身を愛する「神の知的愛」にほかならず,ここにヒトの最高の善と幸福とがある.

神を出したら全て説明がついてしまう,と思うので,違うと否定しつつも,「エチカ」に戻ってきてしまう.不条理な現世を見るにつけ,ここにくる.盲信ではないことの証明のための幾何学的証明なのだろうが,それでも,神を出したらなあ,と,どうしても一線を越えられない.そして,またその境界まで戻ってくる.永遠に続けるだろうが,それでいいだろう.やっぱり「神」は切り札,切り札は持つもので使わない.それしか説明はつかなくても,出さない.

実用主義 Pragmatism

現実主義,結果主義.理論および信念にある真実を,実際に適用して得た成功の観点から評価するアプローチ.理論的にではなく,行動を起こさせる思考,および実際の結果を伴う信念に基づいて導く,とする.理論や原理よりも事実や結果を優先させて物事に対処する.
アメリカの哲学者・科学者チャールズ・S・パースと哲学者・心理学者ウィリアム・ジェームズによって最初に開発された.アイデアまたは命題の意味または真理値は,その観察可能な実際的な結果にあるという教義.同じくアメリカの教育学者デューイが教育分野に発展させた。
演繹法(前提・仮説から結果を類推する),帰納法(事例から原理を導く)に追加して,結果や事実から前提や仮説を類推するアブダクションをパースが提唱した.なお,”abduction”とは「誘拐,拉致」という意味で,結果から類推するとどうしてもある前提や仮説に「捉われて」しまうところから.

十戒

改めて挙げないが,ここに倫理の基本がある.十戒があるのはヒトはそれを犯すから,つまりア・プリオリに罪を犯す可能性があり,ア・ポステリオリに修正が必要だからだ.「姦淫」(正しくない性交)などという言葉が存在すること自体その存在証明だ.親を敬わない子は存在する.殺さない,盗まない,偽証をしない,貪欲にならない,これらは,それらがあるから戒めている.良いとか悪いとかではなく,正しいとか間違いとかでもなく,事実として認識し,それを直そうとするのがヒト.
この罪の周辺にドラマがあるのは困ったことだ.ディレッタントとして,パッションの伴う姦淫や不倫にどうしても寛容になってしまう.悪いことだと思うが,姦淫や不倫のもつそのパッションは認めてしまう.音楽や美術はどうかわからないが,少なくとも文学・演劇にはパッションの形象化としての姦淫や不倫は無縁ではいられない.姦淫・不倫=パッションではないのはことわるまでもない.パンションの一部としての姦淫・不倫がないと芸術の一部が欠けてしまうのは困る.回りくどいが,要するに,私は容認派だ.

ア・プリオリ,ア・ポステリオリ

ア・プリオリ:ラテン語「より先なるものから」,原因あるいは原理から始める認識方法,経験に依存せず、それに先立っていることをさす.先天的,生得的.

ア・ポステリオリ:同上「より後なるものから」,結果あるいは帰結から原因や原理へ向かう認識方法,経験に基づくことをさす.後天的.経験から得られたもの. 

これらを人生に当てはめると,ア・プリオリだけでは不十分で,ア・ポステリオリで修正する必要がある.その修正には個人差があり,ア・プリオリが不十分な人はより多くア・ポステリオリで補う必要があり,ア・プリオリに恵まれている人は,ア・ポステリオリによる修正が少なくてすむ.

能力についてもいえて,生まれつき能力に恵まれた人はより少ない時間,努力で目標に到達でき,恵まれない人はより多くの時間や努力が必要になり,目標によっては到達できないこともある.不公平だが,現実であり事実だからしょうがない.全ての人が同じア・プリオリで生まれてこない.自分でできることは,ア・ポステリオリで修正を加えることだけ.だから必要なことは,第一にそれを認識して諦めず,修正を続けること,そして第二に,時には諦めることも必要だ.

不条理 absurd

筋道が通らないこと,道理に合わないこと.不合理,非論理的,理不尽.英語では「ばかげていておかしい」などの意味で使われるケースが少なくない.カミュが,人間がこの世界に存在する意義と結びつけたため難しくなったが,「不条理」の根本の意味は,「道理的でないからばかげている」である.
この世界は不条理か?人間は不条理な存在か?人間と世界の関係は不条理か?人間と世界の関係に明晰な理由を求められるのか?不条理を克服するにはどうしたらいいか?考えたい人は考えればいいが,それらは「ばかげた」ことかもしれないし,「道理に合う」ことかもしれないが,いずれにしても,存在しているのだから存在すればいい,時がくれば全員退出するのだから.
ヒトは不条理な存在である.私には微塵も疑いがないが,それを証明するのは難しい.確かなのは不条理なヒトが存在し,時が来れば去らなければならないこと.その時と退出の方法は各自違い,選べないことが多い.
そもそも,合理的,論理的と決めているのはヒトの勝手,それに合わないと「ばかげている」とすることに問題はないか?「それをいっちゃ」・・・.「不条理」だ.

疎外 alienation

厭われてグループから孤立した状態,および経験.所属すべき,関与すべき活動に加われない状態.
人間がみずから作り出した事物や社会関係・思想などが,逆に人間を支配するような疎遠な力として現出すること.また,その中での,人間が本来あるべき自己の本質を喪失した非人間的状態.
資本主義経済における労働者の状態.労働の産物とのアイデンティティの欠如と,支配または搾取されているという感覚に起因する.
精神医学においては,アイデンティティの喪失の状態,自己が非現実的であるように見える.これは,社会との関係の難しさと,その結果としての長期にわたる感情の抑制によって引き起こされると考えられている.
一部の劇作家が求める効果で,観客は客観的であり,俳優と同一視しない.
法的に,財産権の所有権の譲渡.

浄化 catarsis

排泄・浄化.感情の鬱積を瀉泄. 文学作品など芸術の鑑賞において、そこに展開される世界への感情移入が行われることで(アリストテレスによるととくに悲劇),日常生活の中で抑圧されていた感情が解放され、快感がもたらされること。精神分析では、無意識の層に抑圧されている心のしこりを外部に表出させることで症状を消失させる治療法。

溜まった不快感,悪感情を発散,表現させることにより,解放,鬱憤を晴らし,浄化をはかること.簡単に言えばストレス解消,ガス抜き.お風呂に入ったり,音楽を聴いたり,運動をしたり,無害なストレス解消法なら良いが,周囲に迷惑をかけたり物を破壊したり,修復できないカタルシスは困る.お酒はカタルシスにもなるが,限度を超えると死に至る.カタルシスは,実際はそれなりの犠牲や危険が伴うものが少なくない.思春期・反抗期や家庭内暴力,いじめ,精神的に病むことも広義のカタルシスといえなくもない.

まずは,自分でコントロールできなくなるほどストレスや悪感情を溜めないこと,カタルシスそのものをコントロールすること,自分の手に負えなくなったら,周囲や家族の力を借りること,躊躇うことなく専門家や自治体,NGO,NPOなどの社会支援組織やシステムの力を借りること.それが結局,自分や家族だけでなく社会を救うことになる.早ければ早いほど解決も早い.

ルサンチマン ressentiment

怨恨、遺恨,復讐を意味する.弱者が強者に対して持つ憎悪や復讐心、仕返しをしたい気持ち、権威・権力に対する反感、根に嫉妬心と劣等感がある.ユダヤ人のローマ人に対する,キリスト教の根底にあるもの(ニーチェ),社会主義革命の根底にあるもの(シェール).

しかし,ユダヤ人のローマ人に対するルサンチマンは歴史上のことであり,キリスト教との結びつきは信者以外が論ずるべきではないだろう,社会主義革命も過去のこと,と考えると,ここでは,再度定義し直すべきではないか.

ヒトが持つ悪感情に根ざす,を残し,嫉妬心のうち,妬み(不平等な扱いに対してのうらみ)はのぞき,嫉(そね)み(羨ましさからくる悔しさ・腹立たしさ),やっかみ,とくに筋の通らない反感をルサンチマンとよぶのはどうだろうか.私は,光源氏の寵愛を受ける桐壺に対する女御更衣,とくに同じくらいの出処の「おとしめそねみ」を「ルサンチマン」と結びつける.

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