ゼレンスキー大統領が米,独の国会にweb参加して拍手で迎えられているが,これは正しいのだろうか?武器を供与している西側諸国は戦争をしていないといえるのか?防弾チョッキやヘルメットを供与している日本政府は?経済制裁はいいのか?難民市民を助けるのならいいのか?避難所を爆撃したのはウクライナ,ウクライナが生物化学兵器使用を計画している,とするロシアはうそつきか?ロシアは悪くウクライナは善なのか?ゼレンスキーよりプーチンは悪いのか?祖国を守ろうと志願する市民は正か?人生を転換すべく傭兵となるのは誤か?ロシア国民はどうしたらいいのか?
いろいろな論点が混ざり合っていることが問題を難しくしているが,平和が正しく戦争がいけないのであれば,拡大解釈をすれば全ていけないことになるだろう.市民に爆撃をしているロシアとその爆撃から逃れる市民を救済することを同じ「悪」と一括りにすることに無理があるが,ここでは問題を少し整理したいと思う.武力侵攻を続けるロシアが悪いのはさておき,つまり,どっちがより悪いかではなく,そもそも何が悪いのか?さまざまなウクライナ支援をする西側諸国は,戦争当事国であるウクライナを支援することは,繰り返しになるが拡大解釈すると,それは戦争に参加していることになる.
日本が憲法で戦争を放棄しているのであれば,防弾チョッキでさえ供与はすべきではない,と思うが,いまさらそれを言っちゃ,ではある.日本はそもそも,自衛隊や武器をもつべきではないから.しかし,それは同盟国のアメリカでさえ認める,求めさえすることである.永世中立国スイスがロシア経済制裁に協力をしていることは,中立国としてはいかがか?と思うが,たしかに,ここでも柔軟に対応を検討すべきであろう.
ロシアがウクライナに要求している第一項はウクライナの非軍事化・中立化.憲法で戦争放棄を規定している日本でさえ軍事化している.これをウクライナに求めるのは,否ウクライナに限らず国に求めるのは,現代国際社会に限らずとも無理だろう.これに対して,中立化はまだ約束可能,約束は破られる前提でもあるのだが.特にNATO加盟を見送ることは選択肢としてあるだろう,なぜロシアの言いなりにならなければいけないかはさておき.
ロシアが懸念するように,軍事化していてもウクライナのほうからロシアに侵攻する気は全くないだろう.今回はロシアが軍事侵攻したから戦闘となった.NATOも自分のほうからロシアに侵攻する気はないだろう.現にロシアのウクライナ侵攻に対してさえ,NATOは直接は参戦していない.武器供与を参戦としなければだが.でも,ロシアはウクライナやNATOが侵攻する可能性があると考える.ロシアは自分が侵攻するから他国も自分と同じと考える.ここに温度差がある.NATOも参戦できるならとっくに参戦しているが,したら世界大戦になる.そして,世界大戦になったら,その犠牲,被害はとてつもなく甚大になる可能性がある.ロシアはそれを見越している,ともいえる.
ここまでで,何度も「断り」を書いてきた.それだけ一筋縄ではいかないということで,矛盾や不条理に満ちたトピックだといえる.まず,途中ではなく原点,スタート点にもどって考えることが必要そうだ.そして,杓子定規にではなく,柔軟によく考えること.つまり,軍事化を抑止力と捉える日本を含める西側諸国と軍事侵攻をしうるロシア,およびそのグループを同じに考えない.スタート地点に戻れば,平和が正しいのであれば,戦争はもちろん,軍事化さえもそもそも悪いが,有史以来いつの時代もどこでも起きてきたことでこれは止められない.その軍事力を実際使うグループと時と場合によって使うグループと,抑止および海外協力として備えている国がある.軍事力を行使するグループに使ったもん勝ちにしないことも必要だ.どうやら,スタートが非条理で始まっていて,途中も結果も不条理に満ちている.であるならば,対応策を柔軟に考えるしか残された道はない.たとえば,日本は軍事化しても戦争には絶対加担しない.しかし,防弾チョッキはどう判断するか?兵站の補給援助はどうするか?その都度熟考と議論をして決断し,報告と説明をして対処するしかない.今までも,そして今もやっているように.世界も同じ.ロシアが悪いと非難するだけではなく,市民を爆撃しているロシア軍隊を止める,できるだけ早くかつコストを最小に抑える方法を柔軟に懸命に考えるしかない.このコストとは狭義のコストではなく,広義の,想像しうる限りのあらゆるコスト,たとえばヒト以外の生物,地球,さらには宇宙におけるコストを総合的に勘案する必要がある.一刻も早くロシア軍隊を止めることだけを考えれば,モスクワを攻撃すればいいかもしれないが,それは「コスト」を最小にすることにはならないのだろう.しかも,可能な限り正義を貫かなければならない.
なぜ,そんな面倒なことをしなければならないのか?もっと単純にできないのか?しなければならないし,単純にできない.なぜなら,現世は不条理だから.私たちが存在している世界や社会は,スタート時点で非条理だから.私たちの存在より先に存在する不条理を否定することはできないし,その不条理を抜きに私たちの存在もない,ということ.それがいやなら,退出するしかない.不条理な世界に住む私たちはその都度その都度最善の対処法を柔軟に考え抜いて実行していくしかない.