世の中には,必然と蓋然と偶然がある.必然は必ず起こる,蓋然はその可能性はある・確からしい.偶然は因果関係なく予期しないことが思いがけなく起こる.必然が100%,その下に蓋然があり,0%に近い偶然.対象範囲が極端に狭い必然と偶然の使用頻度が高く,最も起こり得る蓋然が最も使われないのは,”非日常”へのヒトの興味・関心の”表れ”だと思われるが,それは同時に,必然が絶対ではなく,偶然も意外に起こることの”現れ”でもあると考えられる.サイコロを6回振って,6が1回出るのは必然ではなく,蓋然である.サイコロを振らなければ,偶然にも6が出ることはないが,サイコロを振ったらそれが偶然目に当たることはあるだろう.
偶然はその結果が事前に予想されない.極めて起こる確率が低くても少しでも起こる可能性があれば偶然とは言わない.宝くじを買って,当たるのは必然でも蓋然でもないが,偶然でもない.買わなければ偶然に当たることもない.もっとも,宝くじは買っても当たるのは偶然と言っていいほど起こり得ない低確率だ.
偶然に良いことが起こるのは問題ではないが,それが悪いことだったらどう合理化したら良いのだろう.突然通り魔に襲われた,歩いていたら空から物体が落ちてきたなど.危険な地域に居住していたり,リスクの多い生活習慣をしていれば蓋然かもしれないが,自然災害やALSなどの病気にも不運な偶然と呼べるものがあるだろう.しかし,「なんで私に?」ということが偶然に起きたら,どう考えたら良いのか.
低い確率,たとえば宝くじに当たる確率,何億円という宝クジに当たるのはだいたい,5百万分の一と考えていい.0.00000002.これはほんとうに当たらない.でも,当たる人はいる.この低確率で起こることが,悪い方に出た場合,しかも,買ってもいないのに,つまり可能性はないはずなのに,起きたらどう考えたら良いのか?
それは,起こり得ないことが起こる得る,ということを知っておかなければならないことを意味する.普段は全く考える必要はないだろうが,起きた時は思い出す必要がある.全く予想できないこと,未然に防ぎようがない,そういうことがこの世には起こり得る.どんなに考えても,どんなに悔いても,どれだけ繰り返し考えても答えが見つからないことが起こり得る.そういうことが起きたら,どう対処したら良いか?忘れるしかないと思う.それは積極的な解決策ではなく,他の選択肢がないという消極的な対処ではあるが,なぜ,自分の身に降りかかったのか考えても無駄だから,考えないほうがよい.「偶然」が起こるのは,私たちの存在が,「偶然」の,それもその重なりに起因していることに関連しているのかもしれない.
関連しているどころか,「偶然」存在することになったものが「偶然」を否定したら存在そのものを否定することになってしまう.「偶然」は必然的に存在しなくてはならない.この点では「偶然」は「必然」に転換する.偶然不幸なことが起きたら忘れなさい,ということ.