無責任だとは思うが,マクロ的には人口が都市に集中するのに任せていいのではないか.ヒトが集まるのはそれなりの理由があって集まっている.その流れを変えることのほうがはるかに多大なエネルギーが必要だろう.集り過ぎればそれは自然に歩留まりとなる.たとえば東京に全ての日本人が集まることもない.東京の周辺,大阪の周辺,福岡や札幌の周辺に集まるかもしれないが,東京だけに全ての人が集まることもない.
そのうえで,対処的に問題に取り組む必要はあるだろう.過疎化が進み生活が不便になっているところには,行政の支援が必要だ.また,残すべきもの,ところには企画や工夫も必要だろう.過疎化を無理に食い止めたり,人口集中を無理に止めるよりは,人口集中や過疎化による問題の対処的対応にエネルギーやコストを費やすべきではないか?
ヒトが集り過ぎれば自然に止まり,ヒトが住みたければ自然と集まってくる.ヒトの流れを変えたり作るのは自然(市場)にある程度任せ,そのサポートと問題対処の割合を多くすればいいとおもうのだが.


キリコ Mystery and Melancholy of a street 1914 個人蔵

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