ミュージシャンとドラッグ・酒

ミュージシャン,とくにロック・ジャズの,平均寿命は一般の人に比べて短いのは間違いないだろう.これはお酒,ドラッグなど不健康な生活がひとつの要因と思われるが,それについて書こうというのではない.テーマは,ジャズやロックミュージックの創作にお酒やドラッグは必要かどうか?換言すれば,ロックやジャズは不健康な生活を強要するのか?あるいは,音楽に限らず,芸術に酒やドラッグは必要か?

私の考えは「No」だ.しかし,これは,素面でも,健康的な生活でもいい音楽が創れる,ということでもない.芸術,とくにジャズやロックとドラッグ・酒の相関はありそうだが,芸術論として論じるにはとても私の手にあまる.

酒やドラッグとミュージシャンを離して最後に合わせてみたらどうか.つまり,酒やドラッグを大量に摂らずにはいられなくなる人と名ミュージシャンと分けて考えてそれから合わせる.まず,名ミュージシャンは才能に加えて練習をする必要がある.才能+勤勉・努力が必要なのでとても希少価値がある.加えて,人気ミュージシャンになるには,実力とは別の何か,も必要かもしれない.こうなると,さらに稀少となる.そもそも,稀少なものに一般論を当てはめることはあまり意味がないだろう.

一方,酒やドラッグの中毒者に体質的になってしまう人,つまり先天的に酒やドラッグ中毒になってしまう人もいるだろうが除外する.これも別の理由で稀少だろう.音楽や芸術如何に関わらず,必然的に,体質的になってしまう人もここでは除外する.

さて,音楽の才能があり,スターとなる才能があり,その上体質的に中毒になってしまう人たちを除外すると,まず,才能がなく,中毒になる体質ではない人が挙げられる.ほとんどの人は程度の差はあれここに含まれ,酒やドラッグと折り合いをつけて付き合っている.この人たち以外に少数ではあるが,才能があり先天的には中毒にならない人たちの集合がある,

では,才能があり,成功したミュージシャンが過剰に酒やドラッグを摂取してしまうのは,なぜか?1.経済的に可能であるから.お酒はともかく,ドラッグは違法なので高価であることが,抑止させている一因でもある.また,有名となるとストレス,緊張,重圧などが大きくなるのも理由のひとつだろう.さらに,お金の多く集まるところの人間関係も厳しいものがあるだろう.ここまでは同情の余地がある.これら以外に考えられるのが,慢心,驕り,強過ぎる自負など,一言でいうと「驕慢」があるのではないかと思う.そして,問題としたいのは,この「驕慢」が導火線となっていることである.

手を出すところまではしょうがない,でも行き過ぎて中毒になり,パフォーマンスに影響を及ぼし,パフォーマンスの質を落とすところまで行ってしまうのは,最終的に本人の責任に帰するといえるのではないか.やはり,度を越えて中毒になるその手前で気づいて止まらないといけないのではないか.酒やドラッグで命を縮めてしまう音楽家は,「驕慢」のためで,音楽や芸術とは関係がない,つまり,音楽や芸術が酒やドラッグの中毒者になることを強要はしないと考える.もちろん,そういう人たちがいるというだけで,全てが「驕慢」が理由というわけではない.また,その人がどうやって生きようがその人の勝手であり,酒やドラッグが芸術に必要と考え,実行するのもその人の自由で,その人の生き様だ.家族や友人以外の人にとやかく言われる筋合いはないのも事実.その人にとっては音楽や芸術は酒やドラッグ込みなのであろう.それはそれでいいが,音楽や芸術が酒やドラッグを必要とさせているのではなく,その人が必要としていると考える.

ジャズ:ビル・エヴァンス,チェット・ベイカー,スタン・ゲッツ,チャーリー・パーカー
ロック・ポップス:ジミー・ヘンドリックス,ジャニス・ジョブリン,ジム・モリソン.プリンス,マイケル・ジャクソン,ホイットニー・ヒューストン.
日本はドラッグはなく,お酒,大村憲二,河島英五,美空ひばり,石原裕次郎

ポールマッカートニーやミック・ジャガー,日本では北島三郎などもいるけど,やっぱり少ない.

ターナー 「ミノタウルス号の難破」1810 カルースト・グルベンキアン美術館

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