もし,アローの不可能性の定理が正しく,そしてこの世界から邪気がなくならないとしたら,どうもそう仮定したほうがよさそうだが,カタルシス,デトックスが重要になってくる.ペットをかわいがったり,ショーペンハウエルが言うように,音楽や美術などの芸術にカタルシスを求めるのも良いが,その前にパートナーがお互いにカタルシスしあうことを考えるべきだろう.つまり,学生期の「自分に適したパートナーを考える」重要性が増すということだ.真理に近づけてもニーチェのようになっては元も子もない.
そこで留意しなければならないのは,効果の大きいものはその副作用も大きいと考えたほうが良いということ.適度な効果で適度な副反応も良いが,状況に応じて強力なカタルシスを選択する必要も出てくるかもしれない.それは,パートナーにも当てはまるが,その選択権も決定権も各自が持っている.