ヒンズー哲学の考え方に,一生を四期に分ける考え方がある.五木寛之さんが広めた私的人生のハイライト「林住期」が有名だが,その最初の学生(がくしょう)期にすべきことは,何か?
当然であるが,次期の公的人生のハイライト「家住期」(社会に出て仕事をし,家族を持ち育む期間)のための準備である.準備をさらに二つに分けると,職業として何をするか決めそのための準備と,もうひとつは人生のパートナー(スパウズ)を決めるための準備である.どちらも人生を左右する2大要因だが,後者の人生のパートナーを決める準備として重要なことは何かについて.
結論からいうと,人生のパートナーについて考えるのは,適齢期や適齢期に近づいてからでは遅い.小・中・高・・・と時間をかけて,自分にはどういう相手が適しているのか考察を重ね,対象を絞り込んでおき,その人が現れたらチャンスを逃さず行動を開始したほうがいい.その人が現れてからにわかに考えたのでは遅い.もちろん,早くから準備しても,相手の意向があるので,自分の思い通りになるとは限らない.しかし,自分の考えをまとめておくことは重要だ.恋愛対象ならば,容姿,直感,なんとなく,おもしろいから,やさしいから,だけでいいだろうが,人生のパートナーなので,容姿,職業,収入,性格,思想,志向,嗜好,趣味・・・など総合的に考えなくてはならず,どういう人が自分と人生を歩むのに適しているか結論を出すのは,それほど容易なことではなく,時間もかかる.恋愛の経験・体験もしたほうがよいだろう.だから,20歳過ぎてから準備を始めたのでは遅すぎる.実際は,パートナーとの出会いは20歳過ぎてからの人が多いと思う.ちなみに,私の知っている範囲で,出会いが小学校1組,中学校2組,義務教育の期間に出会った人を人生のパートナーにするケースは1%あるかないか.若い時から考えても無駄のようだが,しかし,考えてみる価値はある.若い時の出会いが,最終的な出会いでなかったのは,単に時期尚早だっただけなのかもしれないではないか.
(写真はイメージです)
まず,気づくところから始める必要があるから繰り返すが,恋愛対象ではないので,パートナーは,一目惚れや本能的,直感的に,ましてやフィーリングが合う(死語?),衝動的,なりゆき,で決めるものではない.人に好意を持ち始める頃からパートナー考察はスタートすべきである.これは私見であり,別の考えの人もいるだろう.また,もっと遅く考え始めても,いや,考えさえしなくても,最適なパートナーを見つけられる人もいるだろう.しかし,である.自分に適した人生のパートナーを考えるのは容易ではないことを,後から知っては遅すぎるのだ.出会わない人がパートナーとなることはない.偶然,必然,自力,他力を問わず出会う人の数は限られている.その限られた人の中からより適した人を選ぶのに,早すぎることはないし,考えすぎることもないだろう.考える価値はあると思う.もし,出会ってもその人が最適なパートナーであることを気づかなかったとしたらその損失はとても大きい.
なお,パートナーが異性とは限らないこと,形式が結婚とは限らないことをふまえて,それらの言葉を使わないようにした.結婚しないという選択肢もある.また,私は適齢期になっても「自分に適した人生のパートナー」を考えなかった.その反省からの一言でもある.(ー ー;)